“月の“幼い声”を考える②太陽で叶える、ちいさな願い

占星術の本では、太陽も月も“性格や性質”として語られることが多く、
その文脈の中では、太陽と月のブレンドも、単なる“足し算”のように受け取られてしまうことがあるかもしれません。
けれども、太陽と月には、明確な役割の違いがあります。

太陽は、その願いを現実で叶えるための創造的な力。
月が「こうしたい」と願う方向性に対して、太陽が「じゃあ、こうやって叶えよう」と手段を与えていく──
それこそが、その人の“生き様”となって、人生を輝かせるのです。

→ 関連記事:「月の“幼い声”を太陽のエネルギーで叶えていく

1.暴走の奥に在る”本当の願い”を見つめる

月の願いは、安心したい・守られたいという“幼い声”から始まります。
時には、その声が暴走することもあるかもしれません。

「もっと見てほしい」
「もっと認めてほしい」
「もっと満たされたい」

そんな思いに突き動かされて、
注目されることや、物を得ることばかりを追いかけてしまうこともあるでしょう。

けれど太陽の役割は、その暴走の奥にある“本来の願い”を、現実の中で叶えていくこと。
たとえば──
「すごいね!」と褒められることよりも、
「ちゃんと見ててくれた」「わかってくれた」という実感がほしいというような、もっと深い安心感や、つながりの感覚。
太陽は、そんな“本当の願い”に気づかせ、それを現実にかたちにしていく力を与えてくれるのです。

2.月獅子座×太陽天秤座のケース

月獅子座:「見て!ほめて!ぼくを一番にして!」
→ 承認欲求が暴走すると、注目されないと不安になり、自己価値を見失う

太陽天秤座:「関係性の中で自分を洗練させていく、調和的なエネルギー」

月獅子座の声は、無垢な自己表現の欲求です。
その欲求を包み込み、現実の中で形にしていくのは、太陽のエネルギーなのです。

3.囚われた“幼い声”がもたらす痛み

「見て!ほめて!ぼくを一番にして!」という声に囚われてしまうと──
注目されないことが不安になり、承認欲求が満たされないと、
自分自身に価値を感じられなくなってしまうこともあります。
そして、何よりも辛いのは──

「あいつ、目立ちたがり屋でうざいんだよ。」

そう言われてしまうと、「そんなつもりないのに…」と、
可愛らしい獅子座くんの幼い声は、しょぼしょぼ…と小さくしぼんでしまいます。

太陽天秤座は、関係性の中で自分を洗練させていく、調和的なエネルギー。
だからこそ、空気を乱してしまったときの痛みは、自分自身を深く傷つけてしまうのです。
そうなったら、もう自分を出すことが怖くなってしまう──
他人の顔色を、ひたすら窺うような生き方になることもありえます。

4.ナチュラルハウスの視点を入れてみる

ホロスコープの基本構造では、12サインと12ハウスが対応しています。

  • 獅子座=5ハウス:「自分の喜び」「自己表現」を追い求める領域(自己満足に偏ることも)
  • 天秤座=7ハウス:「他者との関係性」「バランス」を意識せざるをえない領域

月獅子座の声は、まるで小さな子どもが大好きなダンゴ虫を描いて、
「見て!」と差し出すような、無垢な自己表現です。

けれど、太陽が天秤座にあるなら、舞台は“関係性の中での表現”へと移ります。「自分はだんご虫好きだけど、みんなはそうではないのかも…」そんな気づきが生まれたとき、「どうしたら伝わるか」「どうしたら心地よく受け取ってもらえるか」を考えるようになるのです。

5.太陽の力で、幼い声を“現実にかたちにしていく”

そうなったとき──その幼い声は、もう孤独な叫びではなく、
他者から肯定され、誰かと分かち合える喜びへと変わっていきます。

太陽天秤座は、そんなふうに月の声を優しく包み込み、
“関係性の中で輝く”という、新しい自己価値のかたちを教えてくれるのです。
それが、月の幼い声を太陽の力で現実にかたちにしていくということなのです。

6.両輪がかみ合い、人生が動き出すとき

月の“幼い声”は、切実で、揺らぎを含んだ「安心したい」という気持ち。
満たしてあげたいと思うけれど、そのまま叶えることが、どれほど危ういか──

月の“幼い声”を考える①囚われたとき」で、映画『千と千尋の神隠し』に登場するカオナシのお話をしました。
暴走したカオナシが、その後どうなったかと言うと──
千尋が川の神からもらった浄化作用のある“苦い団子”を食べさせたことで、
飲み込んだものを吐き出し、暴走をいったん止めることができました。
けれど、それはあくまで“リセット”であって、
そのままでは、また暴走してしまう危うさも残っていました。

カオナシが本当の意味で落ち着いたのは──
銭婆の家で受け入れられ、毛糸玉を巻くという役割を与えられたとき。

「誰かに必要とされたい」
「つながりたい」

そんな幼い声が、太陽のような“役割”や“関係性”に触れたことで、
人生の歯車がかみ合い、静かに回り始めた──
それは、まさに“幼い声”が太陽の力によって、現実に息づいた瞬間だったのかもしれません。




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