“月の欠損”とは、マドモアゼル愛先生による月の解釈で一時期占星術界を大きくざわつかせていました。
”月の欠損”とはいったい何なのでしょう。
マドモアゼル愛先生の「月の教科書」によると、月にはこのような”欠損”が現れるそうです。↓
火 自我と情熱 | 地 物質 | 風 知性や思考 | 水 情、情緒、愛情 |
牡羊座 太陽:我、あり 月:↑できない | 牡牛座 太陽:我、所有す 月:↑できない | 双子座 太陽:我、思考す 月:↑できない | 蟹座 太陽:我、感ず 月:↑できない |
獅子座 太陽:我、志す 月:↑できない | 乙女座 太陽:我、分析す 月:↑できない | 天秤座 太陽:我、測る 月:↑できない | 蠍座 太陽:我、欲す 月:↑できない |
射手座 太陽:我、理解す 月:↑できない | 山羊座 太陽:我、使役する 月:↑できない | 水瓶座 太陽:我、知る 月:↑できない | 魚座 太陽:我、信ずる 月:↑できない |
著書を要約すると、『月の発達年齢域である7歳までに獲得した能力は子どもが精一杯大人のまねをしたものにしか過ぎず、それ以上発展していくことはない。一生未熟なままであるのにも関わらず、自分では得意であると錯覚しそれにこだわってしまうが、月が与えるものは見せかけと虚構。人が生きる目的は太陽を獲得することにある』ということを述べられています。
また、それが欠損するとどのような現れ方をするかについて、例えば月双子座の場合だと、「頭が悪い人になります。」とか、どの月のサインももれなく酷い書かれ方をしているので、ショックを受けたり反発する人もいるかと思います。
ただ、”欠損”と言ってますが、少なくとも7歳くらいまでの能力はあり、『頭が悪い人になります』と言われた月双子座も、その後の水星期でぐんぐん知性を発達させていくのではないかと思います。むしろ、月期の時点で『自分は思考するのが得意である』と錯覚していたら、水星期においてスムーズに発達していけそうな気すらするのです。
なので、その人が持つ能力としての”欠損”は、全く気にする必要はないと私は思います。
なのに、自分の月のサインの”欠損”を読むと心当たりがあるような気がするのはなぜなのか・・・。
私の考えを順を追ってお話ししていきます。まずは、月の基本情報から見ていきましょう。
月/MOON
支 配 星 | 蟹座 |
公転周期 | 28日 |
年 齢 域 | 0~7歳 |
象 徴 | 感情・気質・習慣・癖・私生活・幼少期の環境・素顔・安らぎ・素の欲求・不安定さ・敏感さ・依存的・臆病・繁殖・無意識・イメージ力・過去・日用品・看護・養育 |
人 物 | 母親・妻(男性の出生図において)・女性・一般大衆 |
月は気質や感情、素の欲求を表しているとされ、0~7歳までに周囲の環境(主に母親による影響)を吸収することで構築される受動的なプログラムであると考えられています。
“知性”が発達してくる水星期の前の段階なので、本能や潜在意識・無意識の領域に強く働き、自動的な反応として表れます。
月の性質は、家で1人でくつろいでいる時や家族や親しい人との間でほっと気を抜いてリラックスしているような時に出てきやすいとされていますが、月の性質は無防備で弱い幼少期の防衛心が根源となっているので、自分の安心・安全が脅かされていると本能や無意識が感じ取った時に脅迫感を伴って現れます。そのように追い詰められて出てしまった時は明らかに月が暴走状態にあり、そうした時の失敗経験から、月は『無くしてしまいたい自分の嫌な性質・短所・弱さ』として自覚しやすいのではないでしょうか。
そのため、”月の欠損”を読んだ時に、当たっているような気がしてしまうのではないかと思います。
また、月は0~7歳の間に周囲の環境(主に母親による影響)を漫然と吸収した姿というわけではなく、母親(主たる養育者)のこういう風に育って欲しいという願いや期待がガッチリこめられているように思えます。
母親や主たる養育者に頼らざるを得ない幼少期においては、その願いや期待に応えることが生存戦略でもあるわけですが、自分で太陽を獲得していこうとする時期になっても、それに囚われたままだと苦しむこととなります。
私は月が蟹座、太陽・金星・水星が牡羊座にありますが、法事など家族で過ごす用事があると、やりたいことが何もできずに休日が無駄に潰れてしまったとガッカリしてしまいます。
家族と過ごすことに喜びを感じられない自分に罪悪感を覚え、家族思いの優しい子という母親の願いや期待に沿うべく演じ、それを見事に演じきれた時には、それなりの満足感を覚えます。
けれども、自分の意に反して家族思いの優しい子を演じ続ける人生ははたして幸せなのか?という話です。
おそらく、マドモアゼル愛先生の月の欠損説は、能力を全否定しているわけではなく、「そうしなければならないと思い込んでいるそれは所詮は幻だから、苦しいのに無理してまでやらなくてもいいんだよ。」ということを言いたいのではないかなと思います。
『月が与えるものは見せかけと虚構。人が生きる目的は太陽を獲得することにある』
↑結局はこれに尽きるのかなと思います。
そうすると、MC月合の人や、太陽月合の新月生まれの人はどうなっちゃうの?と疑問に思う方もいると思いますが、それについては何かの機会にじっくり書きたいと思います。
月の能力はそれ以上発展しないということは、逆に言うと子供の純粋さがそのまま残されている部分なので、人々の共感を呼びやすく大衆に訴えかける力はあるともマドモアゼル愛先生は述べられています。
月が人気運と関係してくるのもきっとそのせいでしょう。
なので、月の在室するハウスでは、何かを成し遂げようと頑張るのではなく、力を抜いてリラックスしてやる方が上手くいくのかもしれません。